振り返っても、当時の自分に示唆の多い話だと感じる。そしてそのサラリーマンの男性は、終始楽しそうに、清々しい笑顔で語っていた。もちろんお酒もまわる時間帯でもあったが、理由はそれだけではないと思う。
ちなみに、最後にかけられたこの言葉は、折に触れて今でも思い返すことがある。
「きみはたぶん、器用な方で。そのイタリアンバルでも、他の仕事でも、割とうまく働けると思うし、そこに楽しさも充実感も感じられるかもしれない。でも僕としては、その新聞記者の目標は、諦めてほしくないなあ」。
その後、いろんな転機が重なり、新聞社と並行して受けた雑誌社に入社することを選んだ自分は当初「ここで経験を積んでから新聞記者になるぞ」とおぼろげな青写真を深夜の入稿作業中に思い描いていたが、あのサラリーマンの男性の言った通り、雑誌作りの楽しさや難しさにのめり込み、いつの間にか四年半が経過。その後、インタビューを深めたい気持ちでライターとして独立してから、これまたいろんな人との縁が重なり、新聞社の取材記事作成のお仕事をさせていただく機会に恵まれている。
もし、あのサラリーマンの男性と再び会ったら、自分は、そして彼は、どう感じるだろう。結局のところ新聞記者にはなれていないし、まさに他の肩書きに充実感を感じてもいる。しかし自分が追い求めていた、誰かの想いを伝えるという仕事は、違った形でできていると思う。胸を張って、なんて風にはならないかもしれないけど。少なくとも、おいしいビールは一緒に飲むことができると思う。