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取材中に何度も「使命」という言葉がでてきた。

ル・シェフ

きみはたぶん、器用な方で(その二)

 「地元はこの辺りだけど、大学は早稲田大学に通っていて。当時は景気も良かったし、就職活動は今ほど難しくなかったんじゃないかな。それで昔から憧れだったマスコミ業界にって思ったんだけど、なかなか受からなくて。周りはテレビ局や大手メーカー、商社とか、どんどん華々しいところに入社しているのを横目に、焦ってたかもしれない。それでもなんとか内定を決めなきゃいけないと、いろんな企業に申し込んで。決まったのは、魚の卸会社。全然思ってたのと違ったわけよ。しかも、最初の一年間は下積みで、卸した魚を販売している店舗で働くのが決まりになっててさ。慣れない接客業のスタート。いらっしゃいませ、いらっしゃいませって。声出しながら、おれは何やってんだろって思ってた。でも救いだったのは、その店の店長が物凄くいい人で。魚の目利きから接客のイロハまで、一から教えてくれた。実際に魚も売れて、仕事の手応えは感じてたよ」。

 「半年くらい経って慣れてきた頃、その日もいらっしゃいませ、いらっしゃいませと客の呼び込みをしてたらさ、偶然、大学の同級生たちが通りかかったのよ。自分の仕事のことなんか報告してなかったから、みんなびっくりして。何してんの、なんて言われたんだけど、仕事の話をするのが妙に恥ずかしくて『今は下積みだから我慢してるけど、もう少ししたら、こんな仕事おさらばだよ』みたいなこと、言っちゃったんだよね。その同級生たちは、もう名の知れた一流企業に行ってるわけで。つい見栄を張ったんだけど、実はその立ち話が、店長に聞こえてたみたいで。次の日から、もう一気に冷たくなって。そりゃそうだよね。家のお風呂でその理由をぼんやり考えてたら、あれだっと気づいて。本当に後悔したね」。

 「それから、もちろん店長には謝って。もう、目の色変えて働いたよ。一年経って、本社から戻ってこいって言われたけど、それも断ったね。そんなことする新人は過去にいなかったから、みんなびっくりしていたけど。店長は、すごく喜んでくれた。それから結局三年くらいは店舗にいたと思う。魚を見る力や商売のイロハはしっかり身についたし、その後も順調に成果を残せたんだけど、三十歳過ぎてから腰をやっちゃってね。朝から晩まで、肉体仕事も進んでやってたから無理がたたって。もうこれじゃ続けられないとなって、悩んだけど、退職してこの地元に戻ってきたんだ」。

 「いろんな仕事を探す中で縁あったのが今の仕事で、それが、なんとローカルテレビ局の営業職。図らずも、十年以上経ってからマスコミ業界に入ることになったんだよ。不思議なもんだよね。しかも営業職自体は未経験だったんだけど、そこは、魚屋で鍛えたトーク術が役に立って(笑)入社二年目にして営業トップの成績を挙げられたんだ。それで今はもう、すっかり部下をもつような立場になり、今夜は週末仕事終わりにバーで飲んでるというお話」。

Editing Data

Time:2014.02 0:30〜2:00

Location:Iwakuni City, Yamaguchi Prefecture

当時のタウン誌編集部は、いわゆるイメージ通りの世界だった。

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